フード朝 1039-1110



後ウマイヤ朝崩壊後のターイファス(ムルーク・タワーイフ)の時代にスペインのサラゴサを首都とする王国を統治したムスリムの王朝。トゥジーブ家の下で戦闘に活躍して頭角をあらわしたフード家のスライマーン・イブン・フードにはじまる。アラブ人のジュザーム族の子孫?と自称する。

系譜
スライマーン・イブン・フード
(アル・ムスタイーン1世)
−1046
トゥデーラの代官を務めていたが、トゥジーブ家からレーリダとモンソーンを奪い、レーリダに廃位されたウマイヤ朝最後のカリフ、ヒシャーム?を迎え保護した。
1039年:サラゴサ市民に統治者として招かれる。バルバストロ、ウエスカ、タラソーナ、カラタユー、ダローカ、メディーナセーリを含む広大な地域を支配。アル・ムスタイーンというラカブ(称号)を名乗る。
1044年:カスティーリャのフェルナンド1世(兄)にズンヌーン朝侵攻を要請。
晩年、五人の息子にサラゴサ、レーリダ、ウエスカ、トゥデーラ、カラタユーを分割する。
アフマド・アル・ムクタディル
1046-82
スライマーンの死後、息子の中で激しい権力闘争。
サラゴサのアフマド・アル・ムクタディルとレーリダのユースフが有力。
ユースフ(レーリダ)は、アラゴン王ラミロ1世(1035-63)買収して協力を求めるが、ムクタディルはさらに高額でラミロ1世を買収するなるなど、争いは彼らの晩年まで続く。またフェルナンド1世、サンチョ2世、アルフォンソ6世の侵攻→彼らへの貢納金の為、民衆に追加税を課しムスリムの非難を受ける。
1061年東海岸のトルトーサを占領
1064年:十字軍?のウエスカ・バルバストロへの侵攻
1065年:ムクタディル、ムスリムの援軍によりバルバストロの奪回
1076年:デーニア(バレンシア南方)を占領
ロドリーゴ・エル・シドを傭兵隊長として採用
1082年:病死
*厳しい情勢の中での文人を保護、サラゴサにアルハフェリア宮殿を造営。
アル・ムータマン
1082-85
ムクタディルの息子/数学書など多くの書物の著す
彼の兄弟ムンジル→デーニア、トルトーサ、レーリダを継承
アル・ムスタイーン2世
1085-1110
アル・ムータマンの息子
傭兵隊長ロドリーゴ・エル・シドの活躍でキリスト教諸国の侵入に対抗
1087年:エル・シド、無断でバレンシアに侵攻
1089年:アラゴン王国によりモンソーン占領される
1096年:アラゴンにウエスカとバルバストロを奪われる。
この頃アルフォンソ6世にサラゴサを攻撃される→サラゴサ市民モロッコのムラービト朝に援軍を要請→アルフォンソ6世敗走
1110年:アラゴン王国アルフォンソ1世との戦いでバルティエーラで戦死
サイフッダウラ
1110
ムスタイーン?の息子/キリスト教国よりの政策をとった彼は、サラゴサ市民により廃位(サラゴサ市民ムラービト朝のバレンシアの代官イブヌル・ハーッジを招く)
1110年:フード朝の廃王サイフッダウラはルエダに移り、カスティーリャ王国の支配下に入る
*1118年:アラゴン王アルフォンソ1世サラゴサを占領
1140年:サイフッダウラ、カスティーリャ王国によりルエダを放棄、カスティーリャ国内に封土を与えられる。

*主たる参考文献/アラブとしてのスペイン 余部福三


2006/03/01
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