スライマーン・イブン・フード (アル・ムスタイーン1世) −1046 |
トゥデーラの代官を務めていたが、トゥジーブ家からレーリダとモンソーンを奪い、レーリダに廃位されたウマイヤ朝最後のカリフ、ヒシャーム?を迎え保護した。 1039年:サラゴサ市民に統治者として招かれる。バルバストロ、ウエスカ、タラソーナ、カラタユー、ダローカ、メディーナセーリを含む広大な地域を支配。アル・ムスタイーンというラカブ(称号)を名乗る。 1044年:カスティーリャのフェルナンド1世(兄)にズンヌーン朝侵攻を要請。 晩年、五人の息子にサラゴサ、レーリダ、ウエスカ、トゥデーラ、カラタユーを分割する。 |
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アフマド・アル・ムクタディル 1046-82 |
スライマーンの死後、息子の中で激しい権力闘争。 サラゴサのアフマド・アル・ムクタディルとレーリダのユースフが有力。 ユースフ(レーリダ)は、アラゴン王ラミロ1世(1035-63)買収して協力を求めるが、ムクタディルはさらに高額でラミロ1世を買収するなるなど、争いは彼らの晩年まで続く。またフェルナンド1世、サンチョ2世、アルフォンソ6世の侵攻→彼らへの貢納金の為、民衆に追加税を課しムスリムの非難を受ける。 1061年東海岸のトルトーサを占領 1064年:十字軍?のウエスカ・バルバストロへの侵攻 1065年:ムクタディル、ムスリムの援軍によりバルバストロの奪回 1076年:デーニア(バレンシア南方)を占領 ロドリーゴ・エル・シドを傭兵隊長として採用 1082年:病死 *厳しい情勢の中での文人を保護、サラゴサにアルハフェリア宮殿を造営。
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アル・ムータマン 1082-85 |
ムクタディルの息子/数学書など多くの書物の著す 彼の兄弟ムンジル→デーニア、トルトーサ、レーリダを継承 |
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アル・ムスタイーン2世 1085-1110 |
アル・ムータマンの息子 傭兵隊長ロドリーゴ・エル・シドの活躍でキリスト教諸国の侵入に対抗 1087年:エル・シド、無断でバレンシアに侵攻 1089年:アラゴン王国によりモンソーン占領される 1096年:アラゴンにウエスカとバルバストロを奪われる。 この頃アルフォンソ6世にサラゴサを攻撃される→サラゴサ市民モロッコのムラービト朝に援軍を要請→アルフォンソ6世敗走 1110年:アラゴン王国アルフォンソ1世との戦いでバルティエーラで戦死
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サイフッダウラ 1110 |
ムスタイーン?の息子/キリスト教国よりの政策をとった彼は、サラゴサ市民により廃位(サラゴサ市民ムラービト朝のバレンシアの代官イブヌル・ハーッジを招く) 1110年:フード朝の廃王サイフッダウラはルエダに移り、カスティーリャ王国の支配下に入る *1118年:アラゴン王アルフォンソ1世サラゴサを占領 1140年:サイフッダウラ、カスティーリャ王国によりルエダを放棄、カスティーリャ国内に封土を与えられる。 |