中世スペインの西ゴート族国家下のユダヤ教徒と後ウマイヤ朝下のユダヤ教徒

西ゴート族国家下のユダヤ教徒
西ゴート王国内での、キリスト教のユダヤ人に対する仕打ちは681年のトレド宗教会議で、司教たちが国王フラビオ・エルビヒオ(680-687)に強要したユダヤ人に対する法律によく顕れている(以下)。イスラーム支配下でのアラブ人のキリスト教徒に課した法律に比べて残忍なほどの過酷さがうかがわれる。

1 ユダヤ人の違法行為に関して公布された昔の教会法の規定で必要性が再確認された教会法、およびユダヤ人に対して課せられる新しく承認された教会法の規定を再確認する。
2 父と子と聖霊の三位を冒漬する者は、処罰される。
3 ユダヤ人とその子供、およびその召し使いは、洗礼を受けねばならない。
4 ユダヤ人は、自らの慣習に則った過ぎ越しの祭りや割礼式を執り行ってはならない。また、キリスト教徒のキリスト教信仰を妨げてはならない。
5 ユダヤ人は、土曜日ならびにその他ユダヤ教の儀式に則った祝祭日を祝ってはならない。
6 ユダヤ人も日曜日およびその他の指定された祝祭日にはすべて仕事の手を休めねばならない。
7 ユダヤ人は、自らの習慣に従って正餐を食してはならない。
8 ユダヤ人は、親戚だけで結婚式を挙げてはならず、キリスト教の司教の祝福手続ぎに従って結婚せねばならない。
9 ユダヤ人は、自らの信仰を弁護するために我々の宗教を侮辱してはならない。また我々の信仰から逃げて他の地に逃亡することも認められない。改宗忌避の逃亡者を受け入れてはならない。
10 キリスト教徒は、キリスト教の信仰に反するような贈り物をユダヤ人から受け取ってはならない。
11 ユダヤ人は、キリスト教の信仰上読むことが禁じられている書物を読んではならない。
12 キリスト教徒が奴隷としてユダヤ人に仕えることは許されない。
13 ユダヤ人は、キリスト教徒の奴隷を持つために、自らをキリスト教徒だと偽ってはならない。
14 ユダヤ人がキリスト教の信仰を告白する際には、告白を文書に記述せねばならない。
15 ユダヤ人でキリスト教徒になろうとする者は、信仰告白の儀式を行える者に向かって宣誓せねぽならない。
16 ユダヤ人の下にいるキリスト教徒の奴隷が、キリスト教の教えを守らなかったことが発覚すれば処罰される。
17 ユダヤ人で何らかの権限を獲得した者は、王からの命令である場合を除き、キリスト教徒に対して命令し、刑罰を科し、或いは刑罰を軽減してはならない。
18 ユダヤ人の奴隷で、まだキリスト教に改宗していない者が、キリスト教徒に帰依した場合には、自由が与えられる。
19 ユダヤ人は教会の農園管理人になることや、キリスト教徒の家族の財産管理人となること、或いは教会がキリスト教徒に科する刑罰の執行人となることはできない。
20 我々の王国下の別の県、或いは領地から来たユダヤ人は、到来した地の司教、または司祭に対して、遅滞なく移転を申し出なけれぽならず、教会はその人物を常時監視せねばならない。
21 ユダヤ人が集会を行う場合には、決まった期日までに司教に届け出なけれぽならない。
22 ユダヤ人を召し使いに使用している者は、もし司祭が命じた場合には、その奴隷を引き留めておいてはならない。
23 ユダヤ人の行動を押さえる権限は、司祭だけに委ねられている。
24 この法律に規定されていることが守られなかった場合には、司祭または判事の刑罰を受ける。
25 判事は、背信者の過ちについて、司祭の了承なしに裁いてはならない。
26 刑罰の赦免は司教の権限であるが、司教区の司祭が矯正を試みたのにもかかわらず改心しなかった場合には、改心するまで赦免を与えてはならない。
27 キリスト教に帰依した者に慈悲を与える権限は王にある。
28 司教は、すべてのユダヤ人に対して、守らねぽならない事柄が書かれたこの書簡を公開し、彼らの信仰告白や彼らの身分記録を教会の書庫に保存せねばならない。 これらすべての法律がこの宗教会議で承認され、公布されたので、今後は、定に従ってその違反者に対して処罰を加えねばならない。
さらにユダヤ人には人頭税も課せられていた。

人間扱いされていないこの仕打ちに、ユダヤ人が北アフリカのムスリムを呼び寄せるのに協力したとしても、不思議はないように思える。彼らにとってこれ以上の屈辱的扱いはないと思われただろうから。そしてこの背景には、キリスト教徒の純粋な宗教心の追求という面より、国際的視野をもったユダヤ人の交易活動による相対的な豊かさへの妬みが感じられる。彼らは、自らを高めようとする代わりに、隣人を自分達より貶めることによって、その虚栄心を満足させた様にも見える。これは、根本的な西ゴート王国の没落の原因といえるかもしれない。(*ユダヤ人はこの時期に、西ゴート王国住民約700万人のうち2〜3万人で全人口の0.5%以下であったと推定されている少数民族であったが、だからこそ、その繁栄ぶりが気に障ったのだろうか?)

後ウマイヤ朝下のユダヤ教徒
681年のトレド宗教会議から30年後、西ゴート国王ロドリゴの対抗勢力前国王ヴィティサの一族の陰謀と共闘した、711年に始まるイスラーム勢力の遠征により、西ゴート王国は滅亡する。イスラームによる統治は、共闘に加担したユダヤ人にとって、思った程の社会的地位を得ることはできなかったかもしれない。しかしながら西ゴート王国統治下での待遇よりはずっとマシだったことだろう。人頭税が課せられたとはいえ、信教の自由は認められていたし、ユダヤ共同体内での自治権や司法権も認められていた。人頭税もキリスト教徒や一般ムスリム民衆から身を守る安全補償費と考えれば、たいした額ではなかったかもしれない。ウマイヤ朝政権下ではキリスト教徒もユダヤ教徒も平等なジンミー(庇護民)であった。

それ以上に、意義深い変化は、ウマイヤ朝政権下でユダヤ人が、キリスト教徒も同様に、政治中枢の重要なポストについてたということであった。ムスリムが征服した他の地域でもそうであったが、ムスリムはその統治を安定定着させる為に、地元民を必要としたからであった。ユダヤ教徒もキリスト教徒も、王の宮廷でも、国の省庁でも、軍隊でも、そして地方都市でも大都市でも行政職についていた。科学分野においても、ユダヤ人は医学、哲学と翻訳での彼らの業績は特筆に値する。当時のイスラーム国家では、人種や宗教にかかわらず、実力と能力さえあれば、国家の命運を左右するようなポストにつくことができたのであった。末期西ゴート王国とはここが根本的に異なった(もちろん、差別、偏見、嫉妬はあったものの、少なくとも後ウマイヤ朝とタイファスの時代において排除されることはなかった)。

スペイン・イスラーム治下で重要な役割を担った著名なユダヤ教徒
ボド
9世紀
元ドイツの助祭。ルイ「敬虔王」治世下、ユダヤ教に改宗し、アルアンダルスに亡命し、アブド・アッラフマーン二世に影響力を及ぼし、モサラベたちをユダヤ教に改宗させようとし、アミールにキリスト教を非合法化させようとした。
イサック・ブン・シャプルート
10世紀
ハスダーイ・イブン・シャプルートの父。翻訳家。ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語、アラビア語、ロマンス語、を流暢に話した。
ハスダーイ・イブン・シャプルート
10世紀
医師。宮廷の諮問官。ナバラ王国の摂政、トダ元王妃の孫、元レオン国王サンチョ一世は、肥満に苦しんでいたが、トダと共にコルドバに赴き彼の治療を受け、治癒した。後にサンチョ一世はこれが縁でアブド・アッラフマーン三世の支援を受け国王に返り咲く(後ウマイヤ朝でも、タイファス時代でも、ユダヤ人医師は王室首席医師を務めることが多かった)。
また、940年、ウマイヤ朝海軍はバルセロナを攻めたが、ハスダーイの仲介より後ウマイヤ朝と和平を結ばせ、その結果ウマイヤ朝海軍は戦わずして撤退した、また955年にはウマイヤ朝アミールの名において、レオン国王オルドーニヨ3世との和平交渉に赴いた、など政治的な役割も担った。
サムエル・ハ・レビー
11世紀
著作家。翻訳家。1027年から1055年の間ズィリー朝グラナダ王国の諮問官、首席財務官、大臣、宰相を歴任した。同宗者からは「グラナダのユダヤ人の王」と呼ばれた。
マイモニデスイブン・マイムーン)
(b1135-d1204)

12-13世紀
医師。哲学者。ムワッヒド朝下のコルドバ生まれ。生地を逃れカイロに定住しフスタートのユダヤ教徒社会の指導者となる。生計を立てるために医師となったが、この職業で名声を博し、アイユーブ朝の宮廷の侍医を務めている。アリストテレス哲学に着想を得、「哲学大全或いは悩める者の導き」著した。この著作は、アルベルトゥス・マグヌス、ドゥンス・スコトゥスらのキリスト教世界の哲学者たちに深い影響を与えた。
ペトルス・アルフォンシ
(モーシュ・セファルディー/ユダヤ名)

11-12世紀
1106年、アラゴン王国に占領された(1096年)元イスラム都市ウエスカで洗礼を受けキリスト教徒となる。ノルマン朝の国王、征服王ウィリアム1世の息子、ヘンリー一世(1100-1135在位)の侍医として仕え、イングランド最初のアラビア語の教授ともなった。スペイン・イスラム世界では、ありふれた知識人であったが、その知識はンルマンディーやイングランドで驚異の念をもって迎え入れられた。科学に関する著作では惑星運行表、天文学、暦計算法、天体観測儀といったキリスト教世界では最先端の主題を扱っていた。イングランドで彼は、天文学の権威となり、第一世代の学者はもちろん、200年後の文学者による献辞においても、科学のパイオニアにして最大の恩人として称賛されている。さらに、文学の分野での彼の著作「聖職者物語」は「カンタベリー物語」や「デカメロン」にその叙述形式において多大な影響を与えた。


参考文献:西ゴート王国の遺産/イスラーム治下のヨーロッパ/寛容の文化(ムスリム、ユダヤ人、キリスト教徒の中世スペイン)

2006/08/24//追記07/07/15
 
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