ヒルバト・アル・マフジャール/Khirbat al-Mafjar 739-744
ヨルダンのジェリコのオアシスの近くにある。ウマイヤ朝第10代カリフ、ヒシャーム一世の治世(724‐743)に彼の甥である後の第11代カリフ、ワリード2世によって739-744年に建造されたと考えられている。ヒルバト・アル・マフジャールの宮殿は、3つの部分からなり、最も古い部分である実際の城砦の部分は、約44m角の四角形であった。城砦にはカスル・ハラナのように、隅部に円形の塔、そして中央にポーチ付きの中庭があった。北には、モスクに沿って遊歩道があった。モスクの背後には、今日ほとんど崩壊している建物がある。それは約30m角の大きさで、各辺には3つの半円のエクセドラがあった。この接見の間には16本の柱(4×4列)が立ち、5ベイ、5身廊を形成しており、床は、グレコ−ローマンから発想を得た少なくとも31種類の異なる模様のある幾何学的デザインの豪華なモザイク細工で覆われている。この多柱様式のホールは、ヴォールト構造であったと考えられており、その北側には温浴室と熱浴室、床暖房のあるスチームバス、そして初期のイスラム芸術においては最も注目すべき動物の姿のあるモザイクが発掘された小さな私室あった。この壮大な建造物はウマイヤ朝が公式の式典を行う時の接見の間として使われたが、その様式はビザンティン帝国を経由して、ヘレニズムとローマの様式が引き継がれたものである。宮殿の東側には130mの長さの外苑があり、その中央には噴水が設置された。ここには一辺12mの四角形の中にアーケードと吐水口が配された。この構成は、極めて象徴的だった(進んだ水力利用の技術による供給によって、水に対する君主の権限を演出している)

人物像と植物のレリーフ。バールベクのユピテルの神殿のレリーフに似ている。
図版出典:http://www.oberlin.edu/art/images/art109/art109.html
全体平面図:(右)浴場或いは接見の間/(中)遊歩道とモスク/(左)城郭/(下)噴水のある聖堂、この配置はイスラーム初期637年に占領されたバールベクの神殿に似ている。
図版出典:http://www.islamicarchitecture.org
動物の姿のある床モザイク
図版出典:http://www.islamicarchitecture.org
幾何学的デザインの床のモザイク細工
図版出典:http://www.oberlin.edu/art/images/art109/art109.html

参考文献:Islam vol.1 Taschen
関連サイト:
http://archnet.org/library/sites/one-site.tcl?site_id=7363
http://www.muslimheritage.com/topics/default.cfm?ArticleID=462
http://www.islamicarchitecture.org

05/10/14//05/12/14修正
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