バールベク/Baalbek

レバノンのベイルート東方約85kある古代都市。アラビア語ではバーラバック Ba‘labakk。バールベクの神殿の遺構が有名(世界遺産)。ベカーの主を意味するその名前からフェニキア起源と考えられている。

歴史
アレクサンドロス大王の征服によって、ヘリオポリス Heliopolis と改名され、フェニキアのハダド神とギリシアのゼウス神が習合することによって栄えた。

前64‐前63年ポンペイウスによるシリア征服によってローマ都市となり、アウグストゥスによって植民市となる。

ヘリオポリスのユピテル(ジュピター)信仰はローマ帝国全域に広まり、アントニヌス朝からセウェルス朝にかけてが最盛期を迎える。

579年その信仰が禁止され衰退する。

ユピテル神殿が、キリスト教徒により一部破壊される。

637年にここを征服したイスラム教徒は、ここを要塞化する。(神殿に隣接してイスラーム時代のモスクと宮殿の遺構がある)

その後十字軍との攻防が町の荒廃をまねく。

バールベク神殿
都市の中心にいちする270m×120mに及ぶ神域で、六角形の入口部分、列柱の巡る前庭(中庭)、ユピテル神殿から成る。帝国最大のこの神殿は、90m×54mの広さを有し、コリント式擬似二重周柱式神殿である。中庭には大小の祭壇がある。その南隣にはバッカス神殿と通称されるメルクリウス神殿、神域外にはウェヌス神殿がある。いずれも帝政時代のローマ式神殿ではあるが、複雑な造形を示すバロック様式風エレメントを有している点は注目に値する。神殿と中庭がセットとなった構成、また中庭の中央にある構造物(イスラームでは宝物庫や洗浄水盤)は、ダマスクスのウマイヤモスクの様なウマイヤ朝時代の古典モスク様式を思わせ、その建物群の全体構成はヒルバト・アル・マフジャール宮殿の様なウマイヤ朝のカリフの宮殿を連想させる。また、神殿の彫刻(下写真)は、ジェリコのヒルバト・アル・マフジャール宮殿の人物像や植物の彫刻にかなり類似している。さらに下の写真にある様なニッチのスカラップの形態は、アッバード朝の首都となったサーマッラーのアル・アーシクの宮殿のニッチを連想させる。このようなことから、イスラーム圏拡張の初期に占領されたこの神殿は、様々な点でイスラームの初期建築文化に影響を与えたと考えられる。

バールベク神殿の配置図 /図版引用:http://www.lebmania.com/photos/baalbek/welcome.htm
神殿のレリーフ彫刻(人物)
写真引用:
http://members.jcom.home.ne.jp/tabibito5/syria3.htm
神殿のレリーフ彫刻(植物)
写真引用:
http://members.jcom.home.ne.jp/tabibito5/syria3.htm
中庭に面するニッチ
写真引用:
http://www.nakai.com/2004me/me8.htm
左のニッチのキュドフォーのスカラップ形の装飾
写真引用:
http://members.jcom.home.ne.jp/tabibito5/syria3.htm

スカラップ装飾のバールベクでの向きは アル・アーシクでの向きは
参考文献:平凡社世界百科事典
関連サイト:
http://members.jcom.home.ne.jp/tabibito5/

http://www.lebmania.com/photos/baalbek/welcome.htm

05/12/13
inserted by FC2 system