ムシャッタの宮殿/Mshatta
ヨルダンのアンマンの近くに位置する、未完成のウマイヤ朝時代の城砦宮殿。建設年ははっきりしていないが、ウマイヤ朝が滅亡した750年には未完成であったとされ、ワリード2世によって建設が始められとされている。ローマとビザンティンの矩形の要塞のプランを採用している。
25本の半円形の塔によって分節されたにより囲まれた区域は、一辺が148mの正方形を成している(参考:アンジャール370×310m/カスル・アル・ハイル・シャーキー約90m角/カスル・ハラナ約40m角)。南北方向に縦に3分割されたその中央部がカリフの為に用意された区域である。中央の入口の入ると、縦に走るヴォールトのある最初の部屋があり、それは奥行き23mの2番目の長方形の空間に通じ、さらにそれは、縦横57m幅の巨大な正方形の中庭に繋がった。そしてこの中庭の奥に宮殿そのものが建てられいる。その宮殿もまた3分割されていおり、中央の区域には、ビザンティン様式の3つのアプスに続く身廊がある。通常、3つのエクセドラのある部屋や、シュヴェーの形式や、5世紀のコプトの建築の教会のアプスと周歩廊は、シチリア島のピアッツァ・アルメリナ宮殿のような末期古代ローマ遺跡から伝わる形式に由来する。この建物の中央の核となる部屋は、両側の対称形な部屋に挟まれている。その三弁形状の空間(アプスが端部にある)は焼成煉瓦の半円形のアーチでヴォールトが架けられており、負荷を受ける構材は切石が重ねられている。正門に沿ってある、柱頭とフリーズは、ブドウの木に織り混ぜられた葉飾りが帯状に連なり、非常に精巧な技術で造られ、アラビアの芸術というより末期古代ローマの作品のように思われる。モスクでのように、世俗建築においても、装飾は、ローマやビザンティンの手法を直接引き継いだようである。

正方形の真ん中に、ムシャッタの未完の宮殿(アウラ・レギア(接見の間)がある)が建っている

ムシャッタのウマイヤ朝の宮殿のプラン。記念碑的なエントランスの背後の右側はモスク。

ムシャッタは、カスル・ハラナとクサイル・アムラの単純な技法に比べて、手の込んだ建築的技術を使用する。ヴォールトとアプスは、注目に値する技法で念入りに仕上げられた。

繊細な群葉とアラベスクで飾られた基礎。彫刻は、古代ローマの技術とモティーフを模倣した。




05/10/14修正
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