家系 |
クライシュ族 |
ハーシム家 |
祖父 |
アブド・アルムッタリブ |
孤児となったムハンマドの保護者 |
父 |
アブド・アッラーフ |
ムハンマドの誕生前に死亡 |
叔父1 |
アブー・ターリブ |
父の兄弟、孤児となったムハンマドの保護者。娘婿第4代正統カリフ、アリーの父 |
叔父2 |
アッバース |
父の兄弟、孤児となったムハンマドの保護者。アッバース家(→アッバース朝)の始祖。 |
母 |
アーミナ |
ムハンマドが幼い時に死亡 |
妻1 |
ハディージャ |
ムハンマドと同じクライシュ族クサイイの子孫。 |
妻2 |
サウダ |
イスラム信徒の寡婦 |
妻3 |
アーイシャ |
クライシュ族、アブーバクル(後の初代正当カリフ)の娘、次女。 |
妻4 |
ハフサ(605?-) |
クライシュ族、ウ(オ)マル(後の第2代正当カリフ)の娘。バドルの戦いで夫死亡の寡婦。625年2月頃結婚。 |
妻5 |
ザイナブ ( -626) |
バドルの戦いで夫死亡の寡婦。626年頃結婚したが8カ月後死亡。綽名「貧者の母」。 |
妻6 |
ヒンド |
寡婦。626年3月結婚。美人、有力マムズーム家の出。 |
妻7 |
ザイナブ |
従姉妹。627年3月結婚。美人、ジャフシュの娘。 |
妻8 |
ライハーナ |
627年頃?結婚。美人、ユダヤ教徒のナディール族の娘、寡婦。 |
妻9 |
サフィーヤ |
627年頃?結婚。結婚時17歳。美人、ユダヤ教徒のキナーナ族の娘、寡婦。 |
妻10? |
マリーア( -637) |
627年頃?。コプト派のキリスト教徒。東ローマ帝国のエジプト総督からの贈物の金髪女奴隷の一人。後イスラムに改宗し正式結婚?。イブラーヒーム出産。 |
妻11 |
ラムラ(593?-) |
628年結婚。結婚時35歳。ウマイヤ家の長、アブー・スフヤーンの娘。結婚以前、ウマイヤ家とムハンマドが戦っていた時代からのイスラム教徒。 |
妻12 |
ジュワイリーヤ |
628年頃?結婚。遊牧部族アル・ムスタリク族、捕虜。
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妻13 |
マイムーナ(603?-) |
629年結婚、結婚時26歳。美人、叔父アッバースの義妹(政略結婚?)最後の妻。 |
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子 |
ハディージャとの子 |
カーシム/アブドッラー/ザイナブ/ルカイヤ/ウンム?/クルスーム?/ファーティマ
3男4女(ファーティマを除いて、皆若くして死亡) |
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ルカイヤ/ウンム?/クルスーム? |
第3代正統カリフ、ウスマーンの妻 |
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ファーティマ |
第4代正統カリフ、アリーの妻 |
王朝 |
直系子孫の王朝 |
イドリース朝、ファーティマ朝は王朝の始祖が、ファーティマとアリーの子(ハサン)(フサイン:イスマイール派)の子孫を名乗っているが、はっきりしたことは分かっていない。ウマイヤ朝もアッバース朝も直系子孫の王朝ではなく、ムハンマドの属すクライシュ族の末裔。 |