Muhammad/ムハンマド
570頃-632



イスラムを説いた預言者。日本ではマホメットと呼ばれる場合が多い。コーランでは彼は,〈神の使徒 rasul Allah〉〈預言者 nabi〉〈警告者 nadhir〉などの語で呼ばれ、アブラハム、モーセ、イエスなど一連の預言者の系列において〈最後の預言者khatam al‐nabiyin〉と位置づけられている。

イスラム教徒(ムスリム)とその社会にとって日常生活から国家の政治に至るまで神の意志が絶対のものとされる。その意志は預言者に下された啓示に示される。預言者以外の人間には神の意志は直接には伝わらず、最後の預言者がムハンマドであるから、ムハンマド以後の人間はムハンマドに下された啓示を集成したコーランによって最も正しく神の意志を知ることになる。また、神の意志を直接に受けた預言者ムハンマドの言行(スンナ)にも神の意志は示され、その言行に関する伝承(ハディース)も神の意志を知る手がかりとなる。スンナ派の神学・法学の体系の中では、このようにムハンマドはその言行の細部に至るまで重要な人物と位置づけられてはいるが、彼はあくまで〈預言者〉〈警告者〉であり、決して神性を有するとも、信仰・崇拝の対象であるともされてはいない


家系 クライシュ族 ハーシム家
祖父 アブド・アルムッタリブ 孤児となったムハンマドの保護者
アブド・アッラーフ ムハンマドの誕生前に死亡
叔父1 アブー・ターリブ 父の兄弟孤児となったムハンマドの保護者。娘婿第4代正統カリフ、アリーの父
叔父2 アッバース 父の兄弟、孤児となったムハンマドの保護者。アッバース家(→アッバース朝)の始祖
アーミナ ムハンマドが幼い時に死亡
妻1 ハディージャ ムハンマドと同じクライシュ族クサイイの子孫。
妻2 サウダ イスラム信徒の寡婦
妻3 アーイシャ クライシュ族、アブーバクル(後の初代正当カリフ)の娘、次女。
妻4 ハフサ(605?-) クライシュ族、ウ(オ)マル(後の第2代正当カリフ)の娘。バドルの戦いで夫死亡の寡婦。625年2月頃結婚。
妻5 ザイナブ ( -626) バドルの戦いで夫死亡の寡婦。626年頃結婚したが8カ月後死亡。綽名「貧者の母」。
妻6 ヒンド 寡婦。626年3月結婚。美人、有力マムズーム家の出。
妻7 ザイナブ 従姉妹。627年3月結婚。美人、ジャフシュの娘。
妻8 ライハーナ 627年頃?結婚。美人、ユダヤ教徒のナディール族の娘、寡婦。
妻9 サフィーヤ 627年頃?結婚。結婚時17歳。美人、ユダヤ教徒のキナーナ族の娘、寡婦。
妻10? マリーア( -637) 627年頃?。コプト派のキリスト教徒。東ローマ帝国のエジプト総督からの贈物の金髪女奴隷の一人。後イスラムに改宗し正式結婚?。イブラーヒーム出産。
妻11 ラムラ(593?-) 628年結婚。結婚時35歳。ウマイヤ家の長、アブー・スフヤーンの娘。結婚以前、ウマイヤ家とムハンマドが戦っていた時代からのイスラム教徒。
妻12 ジュワイリーヤ 628年頃?結婚。遊牧部族アル・ムスタリク族、捕虜。
妻13 マイムーナ(603?-) 629年結婚、結婚時26歳。美人、叔父アッバースの義妹(政略結婚?)最後の妻。
ハディージャとの子 カーシム/アブドッラー/ザイナブ/ルカイヤ/ウンム?/クルスーム?/ファーティマ
3男4女(ファーティマを除いて、皆若くして死亡)
ルカイヤ/ウンム?/クルスーム? 第3代正統カリフ、ウスマーンの妻
ファーティマ 第4代正統カリフ、アリーの妻
王朝 直系子孫の王朝 イドリース朝、ファーティマ朝は王朝の始祖が、ファーティマとアリーの子(ハサン)(フサイン:イスマイール派)の子孫を名乗っているが、はっきりしたことは分かっていない。ウマイヤ朝もアッバース朝も直系子孫の王朝ではなく、ムハンマドの属すクライシュ族の末裔。



05/10/06修正
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