レオン・アストゥリアス王国の系譜

参照: スペイン諸王朝の系図/クライシュ族の系図/中世トレドの歴史/ターイファス時代の勢力地図 


1 718-737 ペラヨ PELAYO 西ゴード王国ビティサの衛兵
2 737-739 ファヒラ FAFILA
3 739-757 アルフォンソ1世 ALFONSO 俗称:カトリック教徒/ペラヨの娘と結婚
4 757 フルエラ1世 FRUELA
5 757-768 ビマラノ VIMARANO
6 768-773 アウレリオ AURELIO
7 773-783 シロ SILO
8 783-788 マウレガド MAUREGATO
9 788-791 ベルムード1世 BERMUDO
10 791-842 アルフォンソ2世(貞節王) ALFONSO 796年後ウマイヤ朝下のトレドの旧西ゴード貴族(ムスリム)より軍事援助を要請される。
11 842-850 ラミロ1世 RAMIRO
12 850-866 オルドーニョ1世 ORDONO 854年、後ウマイヤ朝下のトレド市民から救援を要請される。856-860年にレオン、アストルガ、トィーイ、アマーヤのローマ都市を再建し、アンダルスから移ってきたキリスト教徒(モサラベ)を入植させた。

13 866-910 アルフォンソ3世
(
大アルフォンソ)
ALFONSO 900年頃、後ウマイヤ朝下のトレド市民から支援を要請され(三度)、見返りに貢納させる。
14 910-913 ガルシア GARCIA
15 914-924 オルドーニョ2世 ORDONO オビエドからレオンへ遷都(914)
917年アブド・アッ・ラフマーン三世の忠臣アフマドを敗死させる。
16 924-925 フルエラ2世 FRUELA
17 925-930 アルフォンソ4世 ALFONSO 俗称:修道士
18 931-951 ラミロ2世 RAMIRO 930-32年頃、トレド市民から救援の要請を受け、出陣するが、敗北。
934年アブド・アッ・ラフマーン三世軍、フェルナン・ゴンザレス伯下のカスティーリャ地方に侵攻。
939年、フェルナン・ゴンザレスと共闘してアブド・アッ・ラフマーン三世軍を撃退。940年アブド・アッ・ラフマーン三世の反撃、941年和平(後ウマイヤ朝宮廷医師ユダヤ教徒ハスダーイ、セビーリャ司教、エルビーラ司教、ペチーナ司教の仲介)。
19 951-956 オルドーニョ3世 ORDONO
20 956-965 サンチョ1世 SANCHO 彼の祖母はナバーラ王ガルシア・サンチェス1世の母トダ。即位後、貴族に追放され、ナバーラのトダの元に逃れるが、958年、トダと共に肥満の治療の為コルドバを訪れ、アブド・アッ・ラフマーン三世に忠誠を誓い、軍事同盟を結ぶ。960年ウマイヤ朝の軍事援助により王位を奪還。
21 966-982 ラミロ3世 RAMIRO
22 982-999 ベルムード2世 BERMUDO 王女を後ウマイヤ朝のマンスールに嫁がせる
23 999-1027 アルフォンソ5世 ALFONSO 俗称:高貴王
24 1028-1037 ベルムード3世 BERMUDO
25 1037-1065 フェルナンド1世 FERNANDO カスティリア
フード朝よりトレドのズンヌーン朝侵攻を要請される。ズンヌーン朝のアル・マームーンより多額の貢納。
26 1065-1072 サンチョ2世 SANCHO (カスティリア王)
27 1072-1109 アルフォンソ6世(勇敢王) ALFONSO 兄のカスティリャ王サンチョ2世(在位1065-1072)に追われ、イスラム王国だったズンヌーン朝トレドに亡命(10カ月間)、アル・マームーンから歓待される。兄の死後レオン・カスティリャ両国の王位についた。
1075年、アル・マームーンの孫のアル・カーディル(1075-85)コルドバを占領するも、有力市民と対立し、アルフォンソ6世の援助を得て(多額の金の支払いと領地の割譲が条件)、復権する。
1085年トレド占領。「キリスト教徒とムスリムの王」を自称する。

28 1109-1126 ウラカ URRACA アルフォンソ6世の娘(カスティリア王)
29 1126-1157 アルフォンソ7世 ALFONSO 俗称:皇帝(カスティリア王)
30 1157-1188 フェルナンド2世 FERNANDO
31 1188-1230 アルフォンソ9世 ALFONSO
32 1230-1252 フェルナンド3世 FERNANDO 俗称:聖人(カスティリア王)
以後カスティリア王

参考文献:西ゴード王国の遺産:鈴木康久著/中公新書
アラブとしてのスペイン 余部福三

05/11/20追記//2006/09/26
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