クリュニー修道院とイスラム文化 part3


ちょっと似すぎシリーズでとりあげている連続交差アーチは、イギリス、フランス、イタリアのノルマン様式の建築の特徴の一つとなっているが、これらの建築物の多くにクリュニー派の修道士が関わっていることが分かっている。これらの修道士たちはどこからこのモティーフを持ち込んだのだろう?またどうしてノルマン様式にクリュニー修道院が関わっているのだろうか?

11世紀、スペイン南部のウマイヤ朝が崩壊(1031年)し、小国に分裂。ターイファスの時代に群小国朝がその文化を競った時期(1009-1091)、フランスではクリュニー修道院は修道院長ユーグの元で最盛期を迎え、イギリスではノルマン人ウィリアム1世(在位1066-1087/ノ公1035-)の元でノルマン・コンクエストが完遂され、スペイン北部ではナバラ、アラゴン、レオン、カスティーリャを統治したサンチョ大王の息子フェルナンド1世(在位1035-1065)と孫のアルフォンス6世(1072-1109)がムスリムの小国朝を脅かし納貢を得る

ノルマン様式に連続交差アーチが頻繁に現れる時期は、その直後の12世紀であった。12世紀は北部スペインのムスリムの小王朝がキリスト教国の前に陥落((トレド1085年、サラゴサ1118年等)し、アンダルシアのイスラーム文化がヨーロッパに広る時期に該る(12世紀ルネサンス)。有名な例として、1118年にアフフォンソ一世の下に陥落し、アラゴンの首都となったサラゴサにあるアルハフェリア(14世紀にアラゴン王国の王宮となった)は、元来イスラームの小国サラゴサ王国(フード朝)の王であるアル・ムクタディルが建造した王宮であったが、占領時の
1118年
にベネディクト派の修道会に寄贈され、修道院として使われていた(ちなみに、この王宮の城壁には既にポインテッドアーチや連続交差アーチが使用されている)。

クリュニー修道院会は、この最盛期に、騎士階級から大量の荘園の寄進を受けるが、その中にスペインの地が含まれるとするならば、その荘園は元々ムスリムの所有物であり、荘園の寄進とは単に土地の寄進ではなく、そこで働く農民や荘園、農業技術、経営技術、それに関係する建物、それを管理する人々、さらにそこからあがる収益を総称していた。つまり、ムスリムの技術や文化、芸術の寄進でもあったわけである。当時のスペイン北部のヨーロッパ圏の文化を遥かに超えたその技術や文化に影響を受けないことがあろうか?

続く、、、、

歴代クリュニー修道院長
1 ベルノー 909-926
2 オドー 926-944
3 エイマル 944-946
4 マイユル 964-994 クリュニー第2聖堂が建設され(963-981)、そのベネディクト式プランを特色する形式は修道院改革運動の進展と軌を一にして各地に影響を与えた。
5 オディロン 994-1049 騎士階層を中心とするクリュニーへの莫大な量の土地の寄進/修道院会約70
6 ユーグ 1049-1109 修道院芸術の盛期を迎える/修道院会約1200/1088年クリュニー第三聖堂の建設はじまる。
7 ポンス 1109-1122
8 ペトルス・ウェネラビリス 1122‐56 1130年頃クリュニー第三聖堂完成

ノルマンディー公→イギリス国王
1 ロロ(ロベール) 911-927 (徒歩公)初代ノルマンディー公/911年西フランク王国のシャルル単純王より居住地域を封土として与えられるかわりに封臣となる/キリスト教に改宗
2 ウィリアム(ギョーム1世) 927-942 (長剣公)
3 リチャード1世 942-996 (無怖公)
4 リチャード2世(リシャール2世) 996-1026 (善良公)
5 リチャード3世 1026-1027 (リシャール3世)
6 ロバート(ロベール1世) 1028-1035 (華麗王、悪魔王)
7 ウィリアム1世 N1035−1087
E1066-1087
(征服王、ギョーム2世/イギリス国王)以後ノルマン家/1035-ノルマンディー公/ヘースティングの戦い(ノルマン・コンクエスト)
8 ウィリアム2世 1087-1100 (しゃ顔王Rufus)ウィリアム1世の第3子/兄のノルマンディー公ロベールとしばしば戦った
9 ヘンリー1世 1100-1135 (ノルマンディー公アンリ1世/1106-1135)
10 スティーブン 1135-1154 (ノルマンディー公エティエンヌ/1135-1144)
11 ヘンリー2世 1154-1189 以後プランタジネット家(ノルマンディー公アンリ2世/1150-1189)
12 リチャード1世 1189-1199 (獅子心王)十字軍遠征での91年のエルサレム近傍でのサラディンとの戦いで有名/以後プランタジネット家/(ノルマンディー公リシャール4世/1189-1199)
13 ジョン 1199-1216 (ノルマンディー公ジャン/1199-1216)
14 ヘンリー3世 1216-1272 (ノルマンディー公アンリ3世/1216-1259)/1259年のパリ条約によりノルマンディー公位を放棄
15 エドワード1世 1272-1307
16 エドワード2世 1307-1327
17 エドワード3世 1327-1377
18 リチャード2世 1377-1399


2006/02/06// 07/03/04

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